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03 26
2011

DIARY

3/11震災当日

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
被災された多くのかたが現在も不自由な避難生活を強いられていることには心が痛みます。

災害救助のプロでもなければ原子力や放射能の専門知識もない僕ですので
節電・募金などに微力ながら協力するとともに、
自分がすべき・できることを粛々とこなしてゆくしかありません。

働いて、執筆して、家族を愛して、子どもを育て、自分も育てられることです。
そういうことを、飾らず気取らず、精一杯続けてゆくことです。

 * * * * *

震災当日は会社で勤務中でした。
中学生のとき関西で経験した阪神大震災の揺れとは明らかに異なる
振り幅の大きい横揺れ。
屋外避難したときには、震源地も地震の規模も分からず
余震の合間をぬって戻った執務室で、少しずつ情報を知るにつれ
その被害の甚大さに戦慄しました。

朝からツマは息子と一緒に高円寺へ出かけていて
しばらくして無事を確認できましたが、
娘を預けている保育園に連絡がつきません。
業務を継続しつつも、動揺は隠し切れませんでした。
上長の気遣いで現場を離脱させてもらい、自転車で保育園へ。
会社の近辺は大丈夫でしたが、保育園がある区は停電しているらしく
信号機が消えて交差点は大混乱。

辿りついた園も停電していましたが、幸い怪我人もなく。
娘を連れて帰った自宅も停電と断水の状態でした。
ふたりでソファに座って毛布にくるまって、窓の外で
日が暮れてゆくのをただじっと見ていました。
絵本を読んでとせがむので、懐中電灯の光で読みましたが
電池には限りがあるので、長くは続けられません。
絵本を閉じて、でたらめな作り話を話して聞かせて、
自分自身の気も紛らわせようとしました。

近くの家々も、遠くのタワーマンションも、コンビニも、街灯すら消えて
闇に沈んだ世界というものは、それくらい圧倒的な力を持っていました。

あのとき感じた心細さ、闇の怖さを忘れないことが
今回の震災を経験した僕自身の責務なのだな、と思いました。
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nyamura


中村一(なかむらはじめ)

会社員&二児の父&小説を書く人。

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